まだまだ福島に通い続けたい
CJ: 原発反対運動を少しでもかじってきた中で、多くの人たちは当事者意識を持っていませんし、難しいよねっていうだけで終わってしまう傾向も知っていましたので、どうしたら福島の原発事故のことを風化させずにさまざまな入口からつなげていけるかということは常に考えていました。通常の被災地支援の場合ですと、避難所や仮設住宅がなくなってしまえば、そこで支援は終わっていきますが、今回の東日本大震災の場合は、被災者イコール被害者という側面もあり、さまざまな福島の人たちといかにつながっていけるかを意識して、いろいろな仕掛けを考えてきた10年だったかなと思っています。
萱島: 今お話を伺っていて、自分自身も身につまされるといいますか、首都圏にいる者たちのために電気を作っている原発が事故を起こして、福島の方が今もなお苦しんでいらっしゃるのに、10年という時が経って復興がかなり進んでいるのだろうと楽観視している部分がありました。
放射能という今後何百年も土地や人々に影響を及ぼすものが残っていて、その後処理も大変ですし、電気をどうやって作っていくかということも様々な問題がありますよね。これからも被災地に意識を向け続けてほしいという思いで、毎月の月命日にイベントを開催されているということでしょうか。
CJ: そうですね。3月11日というのは日本のみならず、世界中の方たちが少なからず関心を持ってくださるタイミングだと思いますが、感情としては被災地と呼ばれている福島の人たちからすれば、3月11日だけが特別ではなくて、あの日からの毎日が特別な毎日で、今日1日をどうするかという積み重ねをされているので、少しでもそういったところを分かってほしいという側面もあります。
僕は何事もクセにすることが大事だと思っていて、支援にしてもやらなくてはいけないと考えちゃうとできなくなくなるし、毎月11日は福島に行くと決めちゃったほうがずっと継続できるなと思って、10年続けようとは考えてもいなかったけど、結果的に継続してきていますね。自分だけではなくて、多くの仲間たちも毎月11日は福島に集まろうというクセがついてきているかもしれないですね。
さっきお話しした平和の日のことに関連しますけど、僕にすれば毎月11日に追悼のともし火を点しているのではなくて、たくさん仲間を福島に連れてきて、賑やかで楽しい1日をみんなで一緒に過ごして、3月11日のことをみんな忘れていないからねというメッセージを送っているというふうにとらえているんです。
だから、まださまよっている魂に対しては「寂しいんだったら集まっておいでよ」という呼びかけもしたいですし、魂だけではなくて、もしかしたら補償がもらえないとか、今回のコロナ禍で大変だとか、そういう人たちに対しても、僕らがいまだに毎月11日に福島に来ているんだということを県内のメディアに僕らのことが載ることで知ってもらえれば、それが少しでも心の支えになってくれればいいかなと思っています。
そう考えると、追悼はまだまだ先の話かもしれないですね。世界中から福島の人たちに「ありがとう」という声が届くようになったら、改めて成仏して安らかに眠っていいんですよということを伝える火を点すことがキャンドル・ジュンの本当の仕事。その仕事をさせてもらえる日が来るまで、まだまだ福島に通い続けたいです。