【単独取材】料理に懸け30年、永島健志シェフが語る美食哲学
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【単独取材】料理に懸け30年、永島健志シェフが語る美食哲学

Photo=Kentaro Ohtani ©TRANSMEDIA Co.,Ltd

この取材は、かつて学校が苦手な不良少年だった、永島健志さんが、料理という表現と出会い「世界のベスト・レストラン50」で世界1位を5度獲得したスペインのレストラン「エル・ブリ」で修業し、帰国後に体験型レストラン「81」を立ち上げた貴重な経験を語って頂いたものである。

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創造と再構築

――本日のコース料理、どれも本当にとってもおいしかったです。ビール(ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリーム)に合わせる料理ということで試行錯誤があったかと思いますが、特にデザートには悩まれたそうですね。

今回デザートを考える上で助けになったのは、マスターズドリームを主役にする、ということでした。ガストロノミーの世界ではお客様は、デザートはデザートとして(メインとは別で)お皿の価値を求められている。僕ら(シェフ)にはデザートワインや甘口のワイン、ディジェスティフ(digestif)という食後の強いお酒に合わせるデザートという引き出しがある。ビールはどちらかというと食前酒(アペリティフ・apéritif)という認識が強いもので、なかなかデザートに合わせるには稀有な感じがします。僕は個人的にビール党で、いろんなお酒は飲みますが、基本的にはビールをずっと飲んでいたい人間です。たまたま今回このようなご縁を頂いたので、一つの挑戦だと思って取り組みました。気に入っていただけたのであれば本当によかったです。

Photo=Kentaro Ohtani ©TRANSMEDIA Co.,Ltd

――確かに、ワインやシャンパンとのペアリングの経験はよくありますが、ビールとフルコースをペアリングでいただく機会はなかなかありませんよね。

僕は「エル・ブリ」で働いていたので、(世間的にも)スペインというイメージが強いのですが、その前はずっとイタリアンをやっていました。東京でも青山のサバティーニという老舗のお店で働いていて、その後サバティーニ・ローマの方に転職をして、今(81)のチームでもイタリア人と一緒に働いています。それでデザートの話に戻ると、ティラミスってちょっと苦いですよね?ココアの苦さやコーヒーの苦さがある。もちろんデザートだから「甘さ」については考えるんですけど、早い段階から今回のテーマは「苦味」にあるという答えに辿り着いていました。コースの2皿目に鮎の苦味や、紫蘇を使用することで野草のエグ味みたいなものを使いました。続く3皿目にはラグーのパスタというエグ味のないものを持ってきた。そのワンクッションがあってもう一回苦味を持ってこようと思った時に、グランドフィナーレには主役のマスタードリームを持ってこよう、と。そこから先は、自分の引き出しにあるリキュールやワインの使い方などを分解、再構築して(デザートの)一皿を完成させていったというプロセスがあります。ワインだったらこう、ブランデーだったらこうしたやり方があるよね、ということが経験則としてあって、ルールとしては大きくはズレないはず。じゃあ、ビールの特徴は?ビールを際立たせるには何をしたらいいんだろう?ということを考えていくんです。(料理は)構造の話だと思うので、今までその構造がなかった理由をまず考えて、なかった理由や、その構造が無理なら分解して再構築する。要素は絶対に変わらないはずなので。そういったことを意識しています。

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「文学・芸術」と「料理」の共通項

――料理と科学は本質的に同じで、科学の例えを料理に、料理の例えを科学によって説明されることがありますよね。とても分かりやすいなと感じます。

僕の個人的な思考ですが、「ものをクリエイトする」ということ自体、一定の方向に同じ要素がたくさんあって、例えば「語る」ということ自体も、まず言葉ありきで、そこから文章を書く上で、記事なのか、小説なのか、SNSなのか、手段が変わる。科学と料理が似ているというのもごく当然で、火を使ったり科学変化を起こして食べられないものを食べられるようにして美味しく変化させるという作業なので、科学とは合いますし、構造という視点から料理を見たときには建築とも合います。相手に伝えたいという表現の部分で考えれば、文学や芸術にも似てくる。僕個人としては、音楽と料理というのもすごく共通点があると思っています。それぞれを、それぞれのプロフェッショナルの方達と話あって来ることができたのが、これまでの81の十数年の歴史です。今日の音楽も今日のために、僕の仲間である音楽のプロが作ってくれたものです。

池袋の要町が出発点

――81の歴史というと、最初にオープンしたのは何年でしょうか。

2012年に池袋の要町でオープンしたのが始まりです。IWGP(※注1)の世界線ですね。今でもその要町近辺に住んでいます。「エル・ブリ」から独立したのが2008年なのですが、帰国してすぐにリーマンショックがありました。金融がバタついている中で、(店を始めるのは)ちょっと今ではないな、と。少し時間を置く間にお酒の勉強などをして、出店しようかという頃合いに今後は2011年の震災(東日本大震災)がありました。そのときは30歳くらいで、プライベートでは結婚をして一人目の子供が生まれ、二人目も生まれる前…という頃でした。いろいろなことを考えさせられる時期で、家族のそばにいたいなと思って(住まいの近くの)要町でお店をやろうと。リーマンショック、震災、と大変なことが続いた中でお金を貸してくれるところもありませんでしたし、(比較的リーズナブルだった)池袋の西口という場所を選びました。

Photo=Kentaro Ohtani ©TRANSMEDIA Co.,Ltd

僕がお店を始めた頃は特に、レストランシーンが盛り上がっていった時期のスタートのタイミングに重なっていたので、それが本当に幸せなことで、たくさんのお客さんに愛してもらって支えてもらいました。僕が生まれた昭和54年あたりは比較的人口が多くて、タレントさんやシェフも多い。ヨーロッパの修行を終えて帰ってきたシェフが独立するタイミングと重なることで、いろいろなシェフが世に出てきて、東京のガストロノミーが盛り上がっていた。その渦の中にいられたことはとても幸せだったと思います。

(※注1)池袋西口エリアが舞台の石田衣良原作小説『池袋ウエストゲートパーク(IWGP)』は、後に宮藤官九郎脚本、長瀬智也主演でドラマ化もされた人気作品。

戦後の焼け野原に比べたら造作もない

――想定より4年ほど遅れたけれど、結果的に良いタイミングでスタートが切れたのですね。

そうですね。でも、あの頃はそんなふうには思っていませんでしたけれど。ドン底だと思っていましたから。ただ、妻の(義理の)祖母に「こんな時代に大変ねぇ」と言われていたんですけれど、いやいや、と。「いや、ばあちゃん。あんたらが経験した戦後の焼け野原に比べたら余裕だから!」なんて言っていましたね。そんな気持ちで始めたら意外と大変でもなかったというか…、支えてもらえる幸運を拾えたなという感じでした。コロナ禍までは、ということになりますが。

Photo=Kentaro Ohtani ©TRANSMEDIA Co.,Ltd

ステージ4の癌、妻の後押し

――なるほど。要町の後は、広尾に移動されたのですよね。

2012年に要町をオープンして、2015年に移動をしています。すごくたくさんのお誘いを頂いていて。要町の時は地下室で8席しかなくて、階段のスペースも入れて15坪という、大学生でも住まないような狭さの場所でした。そこから「コートヤードHIROO」という場所に移ったんですけれど、紹介で知り合ったそこのオーナーさんと食事をする中で、(彼自身の)こんなことをやりたいんだ、という話になって。元々は環境庁の宿舎だった団地をリノベーションして、バウハウスのようなクリエイティブの中心地を作りたい、そこには飲食が不可欠だし、アーティスティックな感性の料理を提供する場として、自分のところにきてほしい、ということを熱心に口説いていただいて、お金も出す、と。本音を言うと、はじめは行きたくないと言う気持ちがあった。西池袋でお客さんに愛されている実感があって、暮らしていくこともできていたし、実はその時、妻が病気だったんです。ステージ4の癌でした。だから行かないと返事をしたのですが、妻の後押しがありました。銀座や港区といった場所でレストランを開くことがシェフにとって(高みとなる)大きな山であると言われていた時代です。新天地の住所は西麻布でしたので、「麻布」というその地でレストランをやるということがどれだけの大きな意味があることか、やりなさい、と。そうであれば、見ておいてくれと彼女に言って取り掛かりましたが、結局彼女は広尾の81を見ることなく天国へ行ってしまいました。それがオープンのきっかけであり、当時の自分のモチベーションでもありました。広尾の81は真っ暗なお店で、テーブルも墓石で作りました。食べることは(イコール)生きることで、食卓こそがまさに生者なんです。それを、コントラストを持って表現したかったからこそ黒にしました。今でこそ、東京に真っ黒(な内装)のお店って増えましたけれど、当時はものすごく怒られましたし、「そんなところでメシが食えるか!」と本当に言われました。でもそれ以上に、クール、素敵!と言ってくれる人がいましたし、僕の考えに共感してくださる方もいて。それで2015年からコロナ禍になるまでの7年半、お店をやりました。

最後の晩餐会

――墓石とはすごいです。喪に服すような想いだったのでしょうか?

 (真っ黒にしたのには)「メメント・モリ(memento mori)」とか、「カルペディエム(Carpe Diem)」といった思想(※注2)に近くて、生きているということを喜ぼうぜ!と、際立たせるための背景なんです。お皿の上にも野菜やお肉といった素材の命があって、食べること(行為)も命です。命の唄の話をしているつもりで「死を意識することによって生を際立たせる」という表現がしたかったんだと思います。キッチンからは離れた12席のカウンターテーブルだったのですが、最初はそこも13席で縁起が悪いと言われる数字でした。『最後の晩餐』と同じ13席です。一応後からその数字は止めることにして、12席としましたが。

Photo=Kentaro Ohtani ©TRANSMEDIA Co.,Ltd

(※注2)「memento mori」とは、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな「「死を想え」という意味の掲句。「Carpe Diem」も同じくラテン語で”carpe”(摘む)と “diem”(日)を組み合わせた言葉であり、直訳すると「一日を掴め」。掲句としては「今この瞬間を大切に生きろ」「チャンスを逃すな」といった意味でよく用いられる。

東京国立博物 法隆寺宝物殿で一夜限りのレストラン

――お話を伺っていると、観念的で形而上学的で、料理を通してさらに大きな全体を考えていらっしゃる、本当にアーティストな方だなという印象を受けます。

とても身近な人の死があったことは大きな転機ではあったんですけれど、その前からアート(の世界)そのものがすごく好きで、純粋にファンでした。学校の先生からもそういう方向に進むように言われていたんですけれど、残念ながら僕は不良少年だったので、学校が苦手で……。料理に関しては、たまたま「エル・ブリ」というレストランに辿り着けたので料理人という見方をされることが多いのですが、「表現をしたい」という想いがもっと根本にあるんです。人生や哲学的なこと、宗教的なこと、芸術的なこと、というところと「食」の接点を作る人間でありたいなと思っているような気がしています。もう30年くらい料理を続けていますが、まだ全然答えには辿り着けていないし、多分一生辿り着かないのだろうなとも思っています。ただ、アーティストでありたいと思う反面、アーティストを名乗ることの恥ずかしさのようなものもありました。でも、僕の尊敬する、あるアーティストの方から「お前はアーティストでしょう」と言っていただき、だったらそうなのかなと。そこに誇りを持って、するべき仕事をしなければいけないという責任感のようなものを感じました。アーティストって、自分の周りを見ていても社会に適合できないような面々もたくさんいます。でもとても共感できるし、地球の一部である僕達がせいぜい100年くらいしか生きられない中で、何ができるか、何を共感して共有できるか、そういったことを食卓に持ち込んだら、それはちょっと特別な食卓になるよね、と思っています。今日などは特に特別な夜となったと思います。「東京国立博物館 法隆寺宝物殿」で、レストランをやる……、これって、ものすごい特別感ですよね?国宝や重要文化財がたくさんある中で、当然ですが火を使うことはできない、水もない、といった特殊な環境の中で、クリエイションに関しては苦しんだ部分も多くありました。自分のチームだけでなく、いろいろな人たちと協力して夜の博物館での一晩を作ったことはすごいことだと思います。しかも(フルコースは)ビール縛りでしたから!最高におもしろいでしょ!という感じです。

Photo=Kentaro Ohtani ©TRANSMEDIA Co.,Ltd

白金台の一軒家

――81はすでに今後の展望も描いているのですよね。

また東京で新たにお店を開く予定で、白金に3階建ての一軒家を借りました。僕らのラボであり、家であり、全ての場所になります。「DUZZLE」というダンスカンパニーが劇場として使っていた場所なのですが、彼らから、そこが空くので使ってはどうかと直接連絡がきました。僕はニセコにいたのですが、今から見にいくとすぐ行きました。今年の8月か9月か…、夏頃オープンできたらと思っています。

――とても楽しみですね!オープンしたらぜひ、お伺いさせてください。

最後になりますが、永島さんにとっての「私によくて、世界にイイ。」ことがあればお聞かせください。

逆説的かもしれませんが「世界にイイことが、僕によい」、そんな風に思います。僕らは自然の食材を扱いますし、自然の中に生きているということを感じやすい職業であるので、まずは世界が美しくあってほしいと思う。自然もそうですし、宇宙の法則のようなものがあるのであればそれに則って生きていたいなと。戦争は絶対にない方がいいし、みんながそれぞれの仕事をきちんとやって、政治家、経済の中でモノを作る人、応援する人、みんなが生き生きとすれば、それが一番だと思います。誰かが苦しんだり沈んだりすることによって成り立っている社会ではなくて、もっと根本的に人間が笑顔でいられる社会が良い世界だと思うし、そんな世界になったらいいなと僕は思っています。それをみんなで探していきたいです。僕は指導者やリーダーではないけれど、自分にできることがきっとある。「81」に関して言えば100年続くブランドにしていきたい。僕が本当に価値のあることをやっていれば、誰かが継いでくれるだろうし、応援してくれるはずで。自分が死んだ後もそれが残っていき、世界のイイ、に役立てるのだったら何よりも素晴らしいことだなと思います。

Photo=Kentaro Ohtani ©TRANSMEDIA Co.,Ltd

――それは素敵な考えですね。実現できることを願っています。本日はどうもありがとうございました。

文:神田聖ら(ethica編集部)/企画・構成:大谷賢太郎(ethica編集長)

参考書籍

高山英紀/池田泰優/永島健志/岩坪滋(2017). 『オードブル 一流に学ぶ発想とテクニック』. 新星出版.

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