ダライ・ラマ14世が提唱した地球規模のプロジェクト「世界聖なる音楽祭」
萱島: ご自身のためだけだったのが、その後さまざまなイベントやセレモニーでキャンドルを点すようになるわけですね。
CJ: はい、そうです。2001年にダライ・ラマさんの呼びかけで「世界聖なる音楽祭」が広島で開催された際、トランぺッターの近藤等則さんから「キャンドルで平和の火を点してくれないか」というオファーがあって、これが自分のために作って点すというルールから、自分の火ではない平和の火を点すというきっかけになりました。
この時、平和の火ですから、そこには「消さないように大切にキープしていきましょう」「原爆の大変さ、悲惨さを訴えていきましょう」という、すごく強い思い入れの入っている火を点しました。それゆえに今の自分があるといえるでしょうね。
萱島: その2001年の「世界聖なる音楽祭」がジュンさんの活動のスタートということになるのですか。
CJ: いえ、すでに1997年くらいからファッション系や音楽系のイベントとかでやり始めていました。でも、当時はまだキャンドル・デコレーションというジャンルがないところからのスタートでしたので、イベントでは安全第一ということをとにかく意識することと、各現場でも自分がそれを考慮していることを訴えてきました。その中でキャンドルは必要な時に点して、役割を終えたら消す。そこまでをセットということでやってきましたので、平和の火を点した時も祈りが終わったら消すということをしなければ、自分の中では終わらないと思いました。
「世界聖なる音楽祭」の時に感じたのは、この平和の火がずっと消してもらえないのはすごく可哀想だということでした。8月6日に多くの人が広島に集まるのも「痛かったでしょう」「辛かったでしょう」といって集まるよりも、「あなたたちの犠牲のもとに、時間はかかったけどようやく世界が学んで世界中から核兵器がなくなったよ。ありがとう」って感謝を捧げる日にしなければいけないんじゃなかと思って、それをいつかは自分が実現させたいと平和の火を点して旅をしたり、アメリカのテロのあった場所を巡ったりなどの活動を始めました。