(第26話)自然と向き合い、いのちを生きる 【連載】八ヶ岳の「幸せ自然暮らし」 山々に囲まれたのどかな八ヶ岳を巡りながら「私によくて、世界にイイ。」ライフスタイルのヒントを再発見
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(第26話)自然と向き合い、いのちを生きる 【連載】八ヶ岳の「幸せ自然暮らし」

フォトエッセイ『最初に秋を感じた日』より。牧草地から眺めた八ヶ岳連峰の風景

アラスカをテーマに活動を続けた写真家・星野道夫氏に惹かれ、写真家を志した松村誠さん。現在は、八ヶ岳に自身の写真事務所「フォレスト」を立ち上げ、『いのちを生きる』というテーマのもと、建築撮影やポートレイト、料理写真など幅広いジャンルで活動しています。山梨の家づくりや暮らしにまつわる書籍、八ヶ岳の生活の中で目にした光景をまとめたフォトエッセイは、読む人の心を優しく包み、新たな視点や生きるヒントを投げかけてくれます。

実は、松村さんはこの地でキリスト教の牧師として地域の方々と深く関わってきました。そのきっかけとなったのが、北極圏アラスカの撮影体験なのだとか。過酷な自然の中で自らと向き合い、行き着いたのは大自然への畏敬の念でした。

いくつもの出会いや別れ、不思議な運命を歩みながら辿り着いた八ヶ岳で、森や林の中に息づく「いのち」の尊さを、アーティストとして伝え続ける松村さんを取材しました。

学生時代、ある教授との出会いが人生の分岐点に

日本を代表する名泉地、自然豊かな群馬県・草津温泉に生まれた松村さんが、ここ八ヶ岳に移住したのは1998年のこと。

「転勤がきっかけです。実は私はキリスト教の司祭でして、山梨県北杜市にある教会に牧師として派遣され、この地にやって来ました。祖父も父も司祭だったのですが、若い頃は司祭になることは考えておらず、東京の大学で経済学を学びました。大学3年の時、ある教授のゼミに参加したことが、人生の分岐点となりました」

大学時代の松村さん。将来は「自然」と関わりながら生きていきたいと考えて、砂漠研究の第一人者、小堀ゼミでゼミ長を務めた

それは、沙漠研究の第一人者として知られる小堀巌教授との出会いでした。もともと東大の教授を務めた小堀先生のゼミで、ゼミ長を任された松村さん。サハラ砂漠やアフリカ、ナイル河の文化などに関する著書も多い小堀教授の影響で、自分も将来は「自然」と関わりながら生きていきたいと考えるようになったと言います。

「幼い頃、『野生の王国』(1963-1990・MBS系)というテレビのドキュメンタリー番組を毎週楽しみに見ていました。いつかアフリカの大自然の中で野生動物の群れを見てみたい…。子供時代はそんな夢を思い描いていました」

星野道夫の生き方に感銘を受け、進みたい道が見えてきた

時を同じくして、松村さんは星野道夫と出会うことになります。アラスカの広大な大地で、一人写真を撮り続けた日本を代表する写真家・随筆家です。星野道夫の存在を知り、写真家としての生き方を意識するようになったそうです。

「当時、星野さんは非常に精力的に活動されていて、ちょうどアリューシャン列島で鯨を撮影していた頃でした。彼が撮る写真には、見たこともないような大自然の営みや、その中で生きる動物たちの凄まじい生命力が表現されていて、圧倒されました」

「でも、彼の写真の中で一番深く心に響いてきたのは、実はスケールの大きさや圧倒的な迫力ではなく、彼の視点を通して描き出される動物たちへの共感と優しさでした。

彼の写真は、目にみえるものの奥にある内面性を映し出している。その深さに惹かれたのです」

「それまで漠然と描いていた、自身の進む道の先を覆い隠していたモヤモヤとした霧が、“星野道夫”という生き方に触れた時、一瞬で消えて視界がパッと開けたような気持ちになったことを覚えています」

星野さんに導かれるように、「アラスカに行ってみたい」と強く思うようになりました。

そんな松村さんの話に、ゼミの小堀先生は熱心に耳を傾けてくれたと言います。そして、大学を卒業してすぐの5月。突然、小堀先生から電話がかかってきたのです。

今、何をしているのかと尋ねられ、

「アラスカに行くために、アルバイトしながらお金を貯めているんですよ、と答えると、

“求人の話がある、世界を股にかける写真家がアシスタントを求めている。一筋縄ではいかないかもしれないが、興味があったらやってみないか”と声をかけてくれたのです」

その時に紹介されたのが、40カ国を超える国々の文化遺産を取り続けた世界的写真家・並河萬里(なみかわばんり)でした。

“面白そうだ!やってみたい”。強い好奇心が運を切り拓く

「正直、並河さんどころか星野道夫さん以外の写真家は誰も知らなかったし、写真は好きだけど、学校で習ったこともありませんでした。ただ、“面白そうだ!やってみたい”という強い思いだけはあったので、一つ返事でお引き受けし、当時、並河さんが住んでいた久我山の写真事務所を訪ねました」

ご本人はユネスコの草原のシルクロードの撮影旅行中で留守でしたが、奥さんに「明日から来なさいね」と言われ、なんといきなり翌日から弟子入り生活が始まったのです。松村さん、23歳の夏のことでした。

並河氏の写真事務所に弟子入り。写真はポジフィルムの時代で、35mmフィルムはむしろ少なく、6x6(ブローニー)サイズ、4x5サイズなど大きなサイズが主流。それらをマウントして整理するのが松村さんの主な仕事だった

並河萬里と言えば、世界各国でその活動が認められ、1989年にはユネスコ世界文化遺産主席写真家に指名されたほどの著名人。そうそう簡単に弟子入りできるものではない写真界の重鎮です。そこに、写真学校などで写真を学んだこともない、撮影の経験ゼロの若者が、いきなり弟子入りしてしまうとは…。まさに幸運としか言えません。

「写真について、何も知らない僕が、こうして翌日から並河萬里の事務所に通うことになったわけです。いろんな業務がありましたが、当時は写真といえばボジフィルムでしたから、撮影されたポジフィルムを一枚ずつマウントして整理するといった作業がメインで、レンタル事業の窓口業務、その他、兄弟子たちと共に写真展の構成の手伝いだとか、海外取材に行く際には、外務省に手続きに行ったりもしました」

松村さん自身もメキシコやグアテマラ、パナマなど、海外の取材に同行しました。なんとメキシコでは兄弟子とともに国立人類学博物館所蔵で、数あるメキシコの遺跡からの出土品のなかでも随一の美しさを誇るパレンケの「ヒスイの仮面」を撮影するというミッションを任されたのです。

助手として海外取材にも同行した松村さん。国立人類学博物館では、パレンケの「ヒスイの仮面」の撮影にも携わる

写真展 2006年『写真展 虹色の国々 メキシコ・グアテマラ』より

並河萬里の弟子として、2年弱を過ごした松村さん。

「写真を学ぶだけでなく、日本国内では得られないような貴重な体験をいくつも積み重ねることができた」と、過去を振り返ります。

「弟子として、旅先などでは常に気を使いますし、精神的にも肉体的にも本当に大変でした。並河さんは僕とは正反対な性格で、正直、苦手だなと感じることもありましたね。でも、40歳を目前にして、初めて自分の写真展を組み立てた時、実は、並河萬里の鋭い感性に強く惹かれていたことを実感しました。光の捉え方や構図など、ものすごく影響されていたということを、自分の写真を改めて見て、気づいたのです」

夢を追いかけて、いざ北極圏アラスカへ!

4月の終わりに並河萬里の元から独立した松村さんは、その2ヶ月後に星野道夫が暮らすアラスカを目指すことになります。

星野さんに、手紙を書いて、1991年6月末に出国。アンカレッジ空港に降り立ちました。

アンカレッジ空港から市街地までは、10km程度の距離。今みたいに配車サービスのような便利なものはなく、タクシーなどで宿まで行くというのが一般的な移動手段なのだとか。

そんなことも知らず、アラスカの地にふらっと降り立った松村さん。無謀な旅の始まりでした。

「細かいことは覚えていない。ただ、はっきり思い出せるのはアンカレッジ空港に着いた時、異国の地で感じたプラタナスの微かな香り…。不思議なくらい、今も確かな記憶として残っています」

まずはアンカレッジ市街にあるログキャビンのビジターインフォメーションセンターでその日の宿を取り、翌日、12時間ほどアラスカ鉄道に揺られて星野さんが住むフェアバンクスに向いました

フェアバンクスに到着し、道夫さんの手紙に書いてあった住所を訪ねてみると、表札にあったのはHoshinoではなくNishiyama という文字。本人の姿はありませんでした。なんとそこはアラスカ大学教授の西山さんの家。常に旅をしながら写真を撮り続けている星野氏は、友人の西山さんの住所を借りて郵便物を預かってもらっていたのです。

「彼は今朝、カリブーを追って北部に撮影に行ったよ、次はいつ帰ってくるかしらねえ。しょっちゅう取材に行っているから、留守のことが多いのよ。彼が帰ってくるまでここにいたら?」

奥様のお言葉に甘え、西山さん宅をベースに撮影の準備の買い物をして過ごした松村さん。その家にはご夫婦と、松村さんと同年齢くらいの2人の子供たちが暮らしていました。彼らと一緒に郊外のフィールドでブルーベリーを摘んで、それを奥さんがジャムにしてくれたり、ものすごく大きなキングサーモンをステーキにしてくれたりと、アラスカライフを満喫したと言います。

留守の道夫さんの帰宅を待つ間、北米大陸最高峰のマッキンリー山(デナリ)がきれいに見える絶景ポイントを持つデナリ国立公園に撮影に行ってきました。

デナリ国立公園では、野宿を繰り返しながら、朝を迎えました。夜になっても明るい白夜の時期。自然の大きさを感じたと言います。

1週間ほどすると、やっと星野さんが取材から帰ってきて再会を果たします。そこから後はホームステイ先を星野さんの家に移し、アラスカの旅について、相談しました。星野道夫からアドバイスをもらって決めた撮影ポイントは2箇所。

フォトエッセイ『北極の友』より。アラスカに住むヒグマやオオカミ、猛禽類などの生命を支えるホッキョクジリス

「1つめは、ゲーツ・オブ・ザ・アーティック国立公園保護区の一角に位置するアリゲッチ針峰群。そしてもう一つが、同じゲーツ・オブ・ザ・アーティック国立公園保護区の中ほどにあるアナクトゥヴクパス。ネイティブのエスキモーが住んでいる場所で、毎年春と秋の二度、北極海へと続くこの谷をカリブーの大群が渡っていくことで知られています。いずれも北極圏アラスカを東西に横切る雄大なブルックス山脈の中に位置します」

アラスカでは、手付かずの自然と、そこに生きる野生動物たちの姿を撮りたかった松村さん。ずっと描き続けてきた夢の大地・アラスカに、期待に胸を膨らませ、心のフォーカスを目的地に合わせたのでした。

小さなセスナーに乗り込み、北極サバイバルは始まった

飛行機から小さなセスナに乗り替えて、目的地の氷河湖に向かった松村さん。冒険の旅が始まった

ゲーツ・オブ・ザ・アーティック国立公園保護区の中にあるアリゲッチ針峰群。ナイフの刃のような岩峰が屏風のようにそびえ立つ場所で、その名は、『天に向けてさし出された指』という先住の人々の言葉に由来します。ここを訪れるにはセスナ機で、まず20kmほど下流のサークルレイクという湖に水着し、道なき道を遡上する必要がありました。その渓谷の一番奥にある氷河湖を撮影することが、旅の最大の目標でした。

「絶対ここに行くんだ!」

しかし、目的地の氷河湖に行くためには、まずは中型の飛行機で中継地であるベトルス(bettles)まで行って、そこからセスナに乗り替えなければなりません。電話帳で見つけた、フェアバンクスとベトルスを繋ぐWRIGHT AIR SERVICEという航空会社に電話をかけましたが、何度かけてもカタコトの英語では話が通じず、最後には笑われて一方的に電話を切られるだけでした。埒が開かないので、もう直接会社に行って、会って話すことにしたのです。

「その小さな航空会社の事務所で担当に必死に説明していると、一人の女性が声をかけてきてくれました。彼女はたまたま、この会社で貨物飛行機のパイロットをしている従兄弟に用事で会いに来たところで、見かねて、ちょうどベトルスまで飛ぶことになっている彼の貨物飛行機に僕を乗せてくれるよう頼んでくれたのです。貨物飛行機なので座席はコクピットの2席しかなく、後ろを振り返ると、機内は荷物だらけの宅急便トラックのような状態。だから必然的に僕はコックピットの副操縦士の席に乗せてもらったんですよ。目の前にたくさんのメーターが並び、副操縦士用のハンドルもあります。パイロットの彼といえば、ジーンズの股の間にコカコーラを挟んで、これまたラフ。そんな自由さが、僕にはとても新鮮で、輝いて見えました。」

「あそこにカリブー(トナカイ)がいるよ」と、わざわざ高度を下げて飛んで説明してもらって、刺激的でした」

旅先の偶然の出会いによって、幸運にも目的地まで貨物飛行機に乗り込むことができた。座席はコクピットの2席だけ。気さくなパイロットは、わざわざ高度を下げてアラスカの大地をガイドしてくれた

無事にベトルスに到着し、次はいよいよサークルレイクに向けてセスナをチャーターします。

川のすぐ隣に建っている掘立て小屋のような小さな事務所の壁には大きなアラスカ地図が貼ってあり、この地図を見ながら、「サークルレイクに行きたい。」と指差して相手に伝えるのです。

目的地と迎えの日時を確認したら、次にやることは荷物の計量です。僕の荷物は全部で138.5ポンド、換算すると63キログラム。当時の体重は58キロくらいだったと思うので、自分の体重より5キロも重い荷物を全部一人で背負って歩くことになります。

次に支払いですが、超過重量ということで48ドル余分に支払うことになりました。

手続きが終わるとワイルドな格好のパイロットと見習の若い青年が、事務所のすぐ下の川に浮かんでいるセスナに、僕の荷物を手慣れた様子で運んでくれて、すぐに出発となります。今回のように目的地が滑走路のない湖だったりする場合には車輪の代わりに水上スキーのようなフロートがついているセスナを使い、水面から飛び上がるのです。

アラスカでは飛行機は生活と密接していて、まるでつっかけサンダルを履いて自転車にでも乗るかのような感覚で飛行機を使います。

ちょっと日本では考えられないようなワイルドさ、スケール感の違いにひたすら圧倒されることだらけでした。

眼下に広がるブルックス山脈の雄大な景色。パイロットは目的地のアリゲッチ針峰群と氷河湖が見えてくると、全体を見渡せるようにと一周だけ飛んでから、僕をサークルレイクに降ろしてくれました。

小さなセスナーでしか行くことができない北極圏の野生保護地区の大地に足を下ろした松村さん。

「10日後にピックアップして、絶対忘れないでね」、とパイロットに頼むと、“OK!”と松村さんに言い残し、空の彼方へと消えていきました。

アラスカの本で何度も見ていた自然の光景を自分の目で見てみたい。夢を追いかけ、熱い思いで氷河湖を目指す

ここから目指す氷河湖までは陸地と水路が入り混ざったような道のり。白夜の季節は昼も夜もわからない。

「時間と日にちもわからなくならないように、念の為、時計は2個持ち。食料やテント、そして自分の体重より重い荷物を背負って歩く、歩く、ひたすら原野を歩く。

「アラスカの本で何度も見ていた自然の光景を自分の目で見てみたい。そんな状況の中で、何時間頑張って歩いただろう。倒れ込んでいつの間にか眠っていた僕は、じゃぶじゃぶと何者かがたてる水の音で目を覚す。ヘラジカが一頭、川の中を歩いてきた。今朝セスナ機から降りた場所は、まだすぐそこに見えるというのに、奴らはどこからともなく現れて、鼻歌でも歌っているかのように楽々と歩き、あっという間に遠くに見えなくなってしまうーー。人間は、なんと無力でちっぽけなんだろう。ここまで歩いて移動した数キロが、凄まじく遠く感じた瞬間でした

全部の荷物を持ったままではとても氷河湖にまで辿り着けないので、結局、撮影機材とシュラフカバーと数日分の最低限の食料以外はテントに残して、身軽になって目的地まで進むことにしました。途中は岩陰などにビバークです。

下手すると、グリズリーにやられるような場所を、ただただ歩いたんです」

それでも、撮りたい。とにかく自然の極みに触れたいという強い思いがあったと言います。

フォトエッセイ『氷河湖』より。ようやくたどり着いた目的の氷河湖、静寂の世界

「生きる」ということは、さまざまな生命の営みに自分の歴史を重ね合わせること

フォトエッセイ『たき火の力』より。アラスカの旅の中で出会った夜明けの風景

あの時、思い通りの写真が撮れていたら、人生は変わっていただろうか

生きるということと死ぬということは、「命」という要素の裏表であるということを感じながら過ごしたアラスカの旅

「今、世の中はすごく便利で、みんなが守られている気がするけれど、ひとたび地震とか災害が起これば、一瞬にしてライフラインは断たれ、大混乱に陥る。僕はアラスカで、生きるということと死ぬということは、「命」という要素の裏表であるということを常に感じながら過ごしました」

生きていくということの本来の意味を考える時間になったアラスカの旅。

「自然と対話しながら、アラスカで過ごした2ヶ月半。現地では、いろんな被写体を追いかけながら、実はその先にある“いのち”と向き合っていた気がします。最終的に、自分たちはどこからきて、どこへ向かって歩いているのか。ずっと考え続けた旅でした。そして、どれほど人間がちっぽけなのか、ということを実感し、自分の立ち位置というものを真剣に考えた時間でした」

その旅で、もしも感じた通りの写真が撮れていたら、違った人生になっていたかもしれないと松村さんは言います。

「結局僕は、アラスカの旅の中で、写真をやめることを決めたんです」

松村さんは帰国後、牧師になるために神学校に行きました。

人生のターニングポイント、心の「原点」アラスカ

撮影から帰ってきて、星野さんと旅の話をする機会を得た松村さんに、道夫さんは2つのことを教えてくれたそうです。

「人生は川の流れのようなものだよ。人生の川の中に、松村くんも僕も流されているんだよ。その中には、いろんなものが流れてくる。100年に一度しか現れないものが流れてくることもあるし、もしかしたら、1000年に一度かもしれないよ。いくら待ってもこないものもあるかもしれない。でも、いつでもアンテナを張っていると、そういう大事なものが流れて来たとき、しっかりキャッチすることができるんだ。もし、何も考えずにいたとしたら、100万年に一度しか来ないようなチャンスが来たって、気がつかないよね」

そしてもう一つ、「本当に好きなことをやっていったらいいよ。ほんとに好きなことだったら、どんなことがあったってやっていけるよね」

「人智を遥かに超えた生命が息づく北極の地・アラスカ。アラスカの大自然に抱かれて、僕は人間の存在の儚さや愚かさ、愛おしさを知りました。今、あらためて想うのです。そこは永遠に僕の心の原点なのだと」

一貫して「いのちを見つめる」活動を続ける

日本に帰った松村さんは神学校に入り、司祭への道を進みました。「北極圏アラスカで見つめた光景の中で感じた気持ちを、僕には、写真で表現することはできなかったのです。そこを突き抜けたもの、超えた何か。純粋に、神の領域と言ったらいいのか…そこにずっと触れていたかった。」

教会の牧師として13年活動したのち、退職。現在は写真家として雑誌や広告の撮影を手掛け、またグラフィックデザインや映像製作など、幅広いジャンルで活動しています。

いろいろな被写体に挑みながら、テーマは一貫して「いのちを見つめること」だと言います。建築を始め、料理、人物など、被写体はさまざまです。

「専門は何ですか?と聞かれることがあります。“僕の専門は⚫︎⚫︎です”、という言い方はしていません。僕の中では一つのことを突き詰めてゆく過程を通して、関連する表現領域というものは自然に広がって行くものだからです」

だから写真だけでなく、その写真を活かしたグラフィックデザインや映像の仕事にも繋がるし、さらに音響の仕事にも触れることになる。「やりたい、好きだ、表現したい」という思いで突き詰めていけば、可能性と表現領域はどんどん拓けていく、というのが松村さんのモットー。

「例え失敗しても、挫折しても「好きなこと」を諦めないでほしいと思います。どんなに腕が良くても、カメラが高級であっても、それだけでは良い写真は撮れません。「好きになる」気持ちが大事です。赤ちゃんを一番可愛く撮れるのは、ママやパパなんですよ。なぜなら、赤ちゃんを一番愛しているのは、ママやパパなのですから。それを、多くの人に気づいてほしいと思います」

歌・語り・映像で、アーティストとして平和を伝える活動

現在、「歌語り」を通し、パートナーと共に各地で子供たちにいのちと平和の尊さを伝える活動を行う

松村さんには、もう一つ、パートナー・山本晴美さんと続けている大切な活動があります。歌と語りと映像で、いのちと平和を伝える『歌語り』という活動。

「歌語りは、1945年という視点を通して、戦争の犠牲となり大人になれなかった子供たちを見つめたドキュメンタリーライブです」

プログラムの一つ『万歳峠』は、山梨県出身で、特攻兵として鹿児島県にある海軍鹿屋基地から出撃して亡くなった一人の青年の生き様を。またもう一つのプログラム『広島すずめ〜あの日からずっとひとりじゃけぇ〜』は原爆孤児として戦後の広島を生きてきた一人のおじさんの半生を、ドキュメンタリーとして伝えています。

これらのオリジナル歌語りプログラムは国内外で展開され、フランスやニューヨークでも講演。好評だったそうです。学校の道徳教育、企業研修などにも呼ばれ、今後も精力的に活動を続けていくそうです。

松村さんにとって、「私によくて世界に良い」こととは?

そうですね。原点に戻るってことかなあ。いろんな情報が身の回りに溢れているけれど、今の世の中、自分に必要じゃないものも多いと思うんですよ。

“私はどうなの?”って、自分の心の声に耳を傾けてみると良いと思います。誰かに教えられるんじゃなくて、自分で感じて、心に落ちたことが、実は本物だったりする。

上ばかり見ないで、子供の頃にやったように時々しゃがんで視線を下げて、足元を見てみると景色が変わって見えますよね。例えば、足元に咲いている季節の花に、ふと感動することってあるじゃないですか。街を歩いていて感じた匂いでもいい。五感が自分に与えてくれる変化とか、エネルギーっていうものが、絶対あると思うんです。

子どもの時のような素直な気持ちで自然と向き合うと、自分が本当に求めているものが見つかるかもしれません。ニュートラルになると、自ずと進むべき道すじが見えてくる。そこにきっと、自分にも誰かにも良い世界があるはずです。

しゃがむっていいかも。

バックナンバーはこちらからご覧頂けます。

【連載】八ヶ岳の「幸せ自然暮らし」を読む>>>

プロフィール
松村 誠(まつむら まこと)

群馬県出身。アラスカの大自然をテーマに撮影活動をしていた写真家・星野道夫氏に魅かれ、自然をテーマとする写真家を志す。ユネスコ世界文化遺産主席写真家・並河萬里氏に師事。メキシコおよびグラテマラ国立人類学博物館にて文化遺産出土品の撮影助手、また、並河萬里写真展、写真集などの制作、新聞コラム執筆などに関わる。
1991年、写真家活動を開始。同年6月、星野道夫氏を訪ねてアラスカ・フェアバンクスに。北極圏アラスカ撮影中の体験を機にキリスト教会牧師の道に。日本聖公会司祭として、同時に写真家として、根源的ないのちと平和を見つめ表現することを試みる。
2008年、教会牧師職を退職。写真事務所フォレストを設立。「いのち」を基本テーマに、撮影対象を自然から人、さらに人を包む建築物へと広げ、表現を深める。

記者:山田ふみ

多摩美術大学デザイン科卒。ファッションメーカーBIGIグループのプレス、マガジンハウスanan編集部記者を経て独立。ELLE JAPON、マダムフィガロの創刊に携わり、リクルート通販事業部にて新創刊女性誌の副編集長を務める。美容、インテリア、食を中心に女性のライフスタイルの動向を雑誌・新聞、WEBなどで発信。2012年より7年間タイ、シンガポールにて現地情報誌の編集に関わる。2019年帰国後、東京・八ヶ岳を拠点に執筆活動を行う。アート、教育、美容、食と農に関心を持ち、ethica(エシカ)編集部に参加「私によくて、世界にイイ。」情報の編集及びライティングを担当。著書に「ワサナのタイ料理」(文化出版局・共著)あり。趣味は世界のファーマーズマーケットめぐり。

ーーBackstage from “ethica”ーー
20代。星野道夫氏の生き方に自分の未来の姿を思い描き、一人アラスカへ。写真を学んだわけではないけれど、世界的に有名な写真家のもとに弟子入りした松村さん。牧師であり、写真家であり、デザイナー、映像作家など、マルチに活動。人生は川のようなもの。常にアンテナを張りながら、純粋に、自分の「好き」を探すことで道は拓けていくものだということを、今回の取材から学びました。まずは「やってみよう」と思うこと。思わなければ、何も始まりませんからーー。

次回もどうぞお楽しみに!

私によくて、世界にイイ。~ ethica(エシカ)~
http://www.ethica.jp

山田ふみ

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[連載企画]冨永愛 自分に、誰かに、世界にーー美しく生きる。 【Prologue】
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20年以上、トップモデルとして活躍。究極の美の世界で生きてきた冨永愛さん。ランウェイを歩くその一瞬のために、美を磨き続けてきた。それは、外見だけではない。生き方、生き様をも投影する内側からの輝きがなければ、人々を魅了することはできない。「美しい人」冨永愛さんが語る、「“私(美容・健康)に良くて、世界(環境・社会)にイイ...
水原希子×大谷賢太郎(エシカ編集長)対談
独自記事 【 2020/12/7 】 Fashion
ファッションモデル、女優、さらには自らが立ち上げたブランド「OK」のデザイナーとさまざまなシーンで大活躍している水原希子さん。インスタグラムで国内上位のフォロワー数を誇る、女性にとって憧れの存在であるとともに、その動向から目が離せない存在でもあります。今回はその水原さんに「ethica」編集長・大谷賢太郎がインタビュー...
[連載企画]冨永愛 自分に、誰かに、世界にーー美しく生きる。 【chapter1-1】
独自記事 【 2021/3/29 】 Health & Beauty
ファッションデザイナーが描く世界を表現するモデルは、まさに時代を映し出す美の象徴だ。冨永愛さんは移り変わりの激しいファッション界で、20年以上にわたり唯一無二の存在感を放ち続ける。年齢とともに磨きがかかる美しさの理由、それは、日々のたゆまぬ努力。  美しいひとが語る「モデル」とは?
モデルのマリエが「好きなことを仕事にする」まで 【編集長対談・前編】
独自記事 【 2018/12/24 】 Fashion
昨年6月、自身のファッションブランドを起ち上げたモデル・タレントのマリエさん。新ブランド「PASCAL MARIE DESMARAIS(パスカルマリエデマレ、以下PMD)」のプレゼンテーションでは、環境に配慮し無駄を省いた、長く愛用できるプロダクトを提案していくと語りました。そして今年9月、ファッションとデザインの合同...
国木田彩良−It can be changed. 未来は変えられる【Prologue】
独自記事 【 2020/4/6 】 Fashion
匂い立つような気品と、どこか物憂げな表情……。近年ファッション誌を中心に、さまざまなメディアで多くの人を魅了しているクールビューティー、モデルの国木田彩良(くにきだ・さいら)さん。グラビアの中では一種近寄りがたい雰囲気を醸し出す彼女ですが、実際にお会いしてお話すると、とても気さくで、胸の内に熱いパッションを秘めた方だと...
東京マラソンと東レがつくる、新しい未来
独自記事 【 2022/5/2 】 Fashion
2022年3月6日(日)に開催された東京マラソン2021では、サステナブルな取り組みが展開されました。なかでも注目を集めたのが、東レ株式会社(以下、東レ)によるアップサイクルのプロジェクトです。東レのブランド「&+®」の試みとして、大会で使用されたペットボトルを2年後のボランティアウェアにアップサイクルするとい...

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グッチとビリー・アイリッシュがコラボレーションした〔グッチ ホースビット1955〕の新作バッグを発表 バッグの素材は、非動物由来の素材 デメトラ!?
Green & Wellness 〜緑に包まれ、人と人をつなぐ広場のような街〜「麻布台ヒルズ 」が開業しました!

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